日本開港五都市
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江戸期
 新潟港は元禄時代に全盛期を迎え、年間に3,500隻の船が出入りし、港は米や塩などの荷を積んだ千石船で賑わった。この頃は全国規模の流通経済が躍進した時代で、街は多くの商人や船乗りで活況を呈していた。
 江戸末期になると幕府政治もゆきづまりを見せ、財政困難を打開するため、港から莫大な税収をのぞめる新潟を幕府の天領とする上知命令を出す。その初代新潟奉行が川村修就(ながたか)であり、彼の重要な任務の一つは太平の世を脅かす外国船から海を守ることであった。

明治・大正
 「堀と柳の都」とうたわれた新潟の街。明治の半ば、市内を流れる堀は30を数え、そこに架かる橋は100本をはるかにこえていた。堀の両側には柳が植えられ、信濃川から米俵や薪炭を積んだ船がのどかに往来していたという。
 幕府天領から戊辰戦争の渦中に入り明治政府に統括された新潟は、廃藩置県により町政も大きく変わり、新潟町会所も新潟区役所になる。明治19年には萬代橋も開通、それまで交通の花形であった川蒸気船に頼るだけだった住民のくらしもずいぶん大きく様変わりすることとなる。

 

新潟市ホームページの「新潟市のプロフィール」→「新潟市の歴史」で詳しくご覧いただくことができます。

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