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平安時代〜室町時代

歴史イメージ 平安時代末期に、太政大臣になって間もない平清盛は、中国・宋との貿易に注目し、その拠点として、大輪田泊の修復を行いました。当時、既に西国路への陸海路の要衝だったこの港が、さらに発展する足掛かりを築くと同時に、また、わずか半年足らずですが、現在の兵庫区を中心に福原京が設けられました。

 一の谷で敗走した平氏に代わって登場した源氏は、本拠を鎌倉に置いたために、神戸との関係はほとんど歴史上出てきません。しかし、荘園の発達で年貢輸送船が盛んに往来するようになり、兵庫関も置かれました。その後、鎌倉幕府崩壊、建武中興、湊川合戦(1336年)を経て、室町幕府が始まりました。

 室町時代は、足利義満・義教らが兵庫をたびたび訪れているように、兵庫はこの時代の中国・明との貿易の中心地として栄えました。しかし、応仁の乱で兵庫の町が荒廃した後は、貿易の中心は堺に移りました。

 

西廻航路〜開港

 堺に繁栄の座を譲った兵庫が再び台頭してくるのは、豊臣秀吉が堺の商人を大阪に移してからです。その後、1672年に徳川幕府の命で河村瑞賢が西廻航路を開いてその地位を築き、兵庫の町には宿駅も設けられました。

 徳川幕府は当初、大阪商人に特別の保護を与え、兵庫には圧迫の方針をとっていましたが、自然の良港をもつ兵庫は瀬戸内海第一の集散市場となるなどその発展をおさえることはできませんでした。

 そして、安政の仮条約を経て、当時、一寒村に過ぎなかった神戸に海軍操練所が置かれました。

歴史イメージ

 

兵庫開港〜

 慶応3年12月7日(1868年1月1日)の兵庫開港。その2日後には王政復古の大号令が出され、港は急速に近代化していきます。町には県庁や裁判所などが置かれ、居留地には多くの外国人が住むようになり、人・物・情報が行き交う拠点として、また、国際貿易港として常に最新の設備を整備し、世界を代表する港に発展しました。
 平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災では、大きな被災を受けましたが、わずか2年間で施設復旧を完了し、現在は震災を乗り越えたアジアのマザーポートづくりを進めています 。

 

神戸市ホームページ「神戸港の歴史」「神戸の歴史探訪」で詳しくご覧頂くことができます。

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